2020年05月21日
わたしのことを、すこしだけ
遅くなりましたが、わたしのことを少し自己紹介します。
特に興味がなければ、この記事はスルーしてくださいね。
出身は神奈川県座間市、神奈川と言えどそんなに都会ではなく(むしろ田舎)、わりと自然に囲まれて大きくなった人間です。
子どもの頃から「農家にお嫁にいく」「畑で野菜を育てて食べるような生活がしたい」などと、田舎ぐらしに憧れを抱いているような発言をしていたらしく、わたしが徳之島へ移住すると言い出した時、母親は「ついにこのときが来たか・・・」と思ったらしいです(笑)
中学から大学までの約10年間、部活動としてソフトボールをしてました。
今、わたしを取り巻く環境はソフトボールがつくってくれたと言っても過言ではないくらい、わたしにとってソフトボールはキーワードです。
大学を卒業後、本当は青年海外協力隊として海外でソフトボールの普及活動をしてみたかったのですが、英語スキルはゼロ。
とりあえず、英語の勉強もしながら近い将来青年海外協力隊を目指そう、ということで埼玉の病院に入職しました。
まあ、英語の勉強なんてするわけもなく(笑)、病院に勤め始めて4年が経った頃、転職を決意、青年海外協力隊の夢も捨てきれなかったのですが、わたしが選んだのは地域おこし協力隊でした。
「やるならとにかく縁もゆかりもない土地にしよう」・・・
そう思って目に入ったのが徳之島。見つけた瞬間に応募書類をダウンロードして、記入後すぐに送りました。
2017年7月に天城町地域おこし協力隊の第1号として着任。
当初は一人だったのですが、気づけば年度内には3人になっていました。
その後、天城町地域おこし協力隊として4人が新たに着任し、3人は協力隊を卒業、今現在天城町ではわたしも含め4人が活動中です。
すごいなと思うのは、天城町地域おこし協力隊として着任、卒業した人はみんな徳之島に残っていること。
今年度に卒業するわたしともう一人、現在活動中の二人も含め、このままいけばおそらく卒業後も徳之島に留まる選択をするであろうと思います。
見事に、地域おこし協力隊制度の目的を達成しているんです。
でも正直、わたしは協力隊の任期としては最後の活動年度を迎える前、島に留まるか地元に帰るか迷っていました。
徳之島が嫌いだったとかそういうことではなく、協力隊の仕事を経て自分の地元に興味を持ったと言った方が当てはまると思います。
島の方もよく言いますが「徳之島には何もない」、確かに何もないです。
でも、都会にないものが島にはあります。
都会にはあんなに青い海はありません。アカショウビンが鳴くこともないです。
こんなにゆったりとした時間は流れていないし、どちらかと言えば都会では時間に追われます。
島にないものを探しがちですが、島にあるものはたくさんあるんです。
それに気が付いたのは協力隊としてこの地にやってきたからです。
逆に、わたしも自分の地元に対して「わたしの地元には何もないです」とよく島の人に言っていたことに気が付きました。
これに気付いた日から、自分の地元になにがあるのか探すようになりました。実際に地元の観光協会へ出向いて話を伺ったこともあります。
それくらい、徳之島への興味と同時に自分の地元にも興味を沸かせていたことは事実。
そんなこんなで、地元にも興味があったので協力隊を卒業したあとは地元に帰って、地元を盛り上げられるような仕事がしたいなと漠然とした考えでいました。
でも、そのタイミングで今の夫と出会いました(笑)
トントンで結婚・出産という流れになったので、どうするか考える間もないまま、わたしは徳之島の人間になったわけですが、後悔はまったくしていません。
帰りたいなと思うこともないわけではありませんが、島の風景を見ると「やっぱり島がすきだな」という気持ちにリセットされます(笑)
と、いうくらい単純人間であることも、わたしのいいところであり、悪いところ^_^;
途中、大分話がそれたうえになんやかんや長くなってしまいましたが、わたしが今にくるまでたくさんの考えを持ち、葛藤したのは本当です。
「だからこその目線」が自分にはあると思うので、そういう話も織り交ぜながら島でのくらしを発信していけたらと思っています。
自己紹介・・・というか自分の話が長くなりましたが、以上。
次回は、わたしが徳之島にはじめて来た日のことをつづってみたいと思います!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします^^
特に興味がなければ、この記事はスルーしてくださいね。
出身は神奈川県座間市、神奈川と言えどそんなに都会ではなく(むしろ田舎)、わりと自然に囲まれて大きくなった人間です。
子どもの頃から「農家にお嫁にいく」「畑で野菜を育てて食べるような生活がしたい」などと、田舎ぐらしに憧れを抱いているような発言をしていたらしく、わたしが徳之島へ移住すると言い出した時、母親は「ついにこのときが来たか・・・」と思ったらしいです(笑)
中学から大学までの約10年間、部活動としてソフトボールをしてました。
今、わたしを取り巻く環境はソフトボールがつくってくれたと言っても過言ではないくらい、わたしにとってソフトボールはキーワードです。
大学を卒業後、本当は青年海外協力隊として海外でソフトボールの普及活動をしてみたかったのですが、英語スキルはゼロ。
とりあえず、英語の勉強もしながら近い将来青年海外協力隊を目指そう、ということで埼玉の病院に入職しました。
まあ、英語の勉強なんてするわけもなく(笑)、病院に勤め始めて4年が経った頃、転職を決意、青年海外協力隊の夢も捨てきれなかったのですが、わたしが選んだのは地域おこし協力隊でした。
「やるならとにかく縁もゆかりもない土地にしよう」・・・
そう思って目に入ったのが徳之島。見つけた瞬間に応募書類をダウンロードして、記入後すぐに送りました。
2017年7月に天城町地域おこし協力隊の第1号として着任。
当初は一人だったのですが、気づけば年度内には3人になっていました。
その後、天城町地域おこし協力隊として4人が新たに着任し、3人は協力隊を卒業、今現在天城町ではわたしも含め4人が活動中です。
すごいなと思うのは、天城町地域おこし協力隊として着任、卒業した人はみんな徳之島に残っていること。
今年度に卒業するわたしともう一人、現在活動中の二人も含め、このままいけばおそらく卒業後も徳之島に留まる選択をするであろうと思います。
見事に、地域おこし協力隊制度の目的を達成しているんです。
でも正直、わたしは協力隊の任期としては最後の活動年度を迎える前、島に留まるか地元に帰るか迷っていました。
徳之島が嫌いだったとかそういうことではなく、協力隊の仕事を経て自分の地元に興味を持ったと言った方が当てはまると思います。
島の方もよく言いますが「徳之島には何もない」、確かに何もないです。
でも、都会にないものが島にはあります。
都会にはあんなに青い海はありません。アカショウビンが鳴くこともないです。
こんなにゆったりとした時間は流れていないし、どちらかと言えば都会では時間に追われます。
島にないものを探しがちですが、島にあるものはたくさんあるんです。
それに気が付いたのは協力隊としてこの地にやってきたからです。
逆に、わたしも自分の地元に対して「わたしの地元には何もないです」とよく島の人に言っていたことに気が付きました。
これに気付いた日から、自分の地元になにがあるのか探すようになりました。実際に地元の観光協会へ出向いて話を伺ったこともあります。
それくらい、徳之島への興味と同時に自分の地元にも興味を沸かせていたことは事実。
そんなこんなで、地元にも興味があったので協力隊を卒業したあとは地元に帰って、地元を盛り上げられるような仕事がしたいなと漠然とした考えでいました。
でも、そのタイミングで今の夫と出会いました(笑)
トントンで結婚・出産という流れになったので、どうするか考える間もないまま、わたしは徳之島の人間になったわけですが、後悔はまったくしていません。
帰りたいなと思うこともないわけではありませんが、島の風景を見ると「やっぱり島がすきだな」という気持ちにリセットされます(笑)
と、いうくらい単純人間であることも、わたしのいいところであり、悪いところ^_^;
途中、大分話がそれたうえになんやかんや長くなってしまいましたが、わたしが今にくるまでたくさんの考えを持ち、葛藤したのは本当です。
「だからこその目線」が自分にはあると思うので、そういう話も織り交ぜながら島でのくらしを発信していけたらと思っています。
自己紹介・・・というか自分の話が長くなりましたが、以上。
次回は、わたしが徳之島にはじめて来た日のことをつづってみたいと思います!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします^^