2020年06月01日
今日から6月、この季節の話
今日から6月に入りました。
今月が終われば2020年もあと半分です。
歳を重ねるごとに1年は短く感じるというけれど、
本当にその通りだなあと、近頃身をもって感じています。
本当なら、今の時期は東京オリンピック開催に向けて
日本中が盛り上がっていくはずだったのでしょうけれど・・・
来年の今頃は大いに盛り上がっていることを期待したいですね。
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さて、今年の奄美地方は5月10日頃に梅雨入りしました。
ここ最近は沖縄よりも梅雨入りが早い傾向にありますね。
これも異常気象のひとつなのでしょうか・・・
今まで、梅雨というと連日どんよりとした天気で
基本、雨か曇り。そしてたまに晴れ。
というようなイメージというか、認識でいたのですが
島の梅雨はわりと晴れも多い・・・ような気がします。
(これは昔からなのでしょうか?それともここ最近の話?)

写真は先ほど撮影した平土野の様子です。
今日も曇り予報でしたが、現在(6/1 11時現在)は晴れています。
でもここから一気に曇って一気に雨が降る、というのも島あるあるです。
今回は、わたしの思っていた梅雨の範囲を超えてきた(笑)、
島の梅雨についてつづりたいと思います。
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島の梅雨。何と言っても湿気がすごいです。うるおいまくってます(笑)
関東で生きていたわたしにとっては体感したことのないジメジメでした。
移住1年目、神奈川から持ってきたありとあらゆるモノがカビました。
これ、盛って話してるとかではなくて本当にありとあらゆるモノにカビが生えます。
冷蔵庫の扉、吊り下げ収納していたカバン、タンスにしまってあったパーカー、
カラーボックスの裏、革製品、洗って保管してあったタッパーなどなど
カビさせたものは数知れず。気づいたらカビているなんてしょっちゅうでした(笑)
でも、2年目くらいからカビるものが少なくなったように思えます。
モノにも「慣れ」があるんですかね?
島の環境に順応したのかもしれません^^;
それでも、新入りのモノは相変わらず
カビに侵されやすいなあと感じている今日この頃です。
除湿機を買おう買おうと思って早4年が経つので、
今年はいい加減購入しようと考えていますが
そうこうしているうちに梅雨が明けてしまうような気がします。
島に住んでいらっしゃる方で、カビ対策に何かいい方法がありましたら
ぜひお教え願います!
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梅雨の話に戻して・・・
この時期、島の雨の降り方は結構激しいときが多いです。
わたしが今まで体感していた梅雨は
「しとしと~」と日中雨が降り続いているようなイメージでしたが、
島の雨は「ザーッ、ゴーッ」という感じです(笑)
「しとしと~」と降る日も、もちろんありますが
割合で言えば「ザーッ、ゴーッ」のパターンの方が多い気がしてます。
もうこうなると、すべてがびっしゃびしゃです。
なぜか風も強まる傾向があるので、傘なんて差せたものじゃないです。
そうそう、ついこの間気が付いたことなのですが、
島に移住してきてから、折りたたみ傘以外の傘を持ったことがありませんでした。
多分、理由は「傘を差すレベルじゃない」と思うことが多いからだと思います。
雨が降っていても特に気にするレベルじゃない(傘を差すほどじゃない)、
もしくは、もう仕方ない(傘を差しても意味を成さない)の二択でしか
考えたことがなかったんだなあと思ったら、ちょっと恥ずかしくなりました。
ちなみに、これに気が付いたのは先日娘を幼稚園へ送っていったときです。
周りのお母さん方は傘を差しながら子どもを見送っていましたが
わたしは傘を持っていないことにその時気が付きました(笑)
苦し紛れに、常備してあった折り畳み傘を差して娘を見送りました。
どの具合の雨なら傘を差すか、というのは人それぞれの価値観ですが
とある日、雨の中傘も差さずに下校している小学生が
手に傘を持っているのを見て、かなり近いものを感じたことがあります。
もちろん、きちんと傘を差している方はたくさんいらっしゃるので
わたしのような人ばかりでないということは、しっかりと強調しておきますね(笑)
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●とにかくジメジメがすっごい。カビも大繁殖して、もうすごい。
●雨の降り方が半端ないときが多い。傘なんて差してられない。
以上が、わたしが島に来て「梅雨」に対して感じたこと、
そして今までの「梅雨」のイメージから書き換えられたことです(笑)
多分、こういう表現をしていても
島のジメジメを知らない人が初めて経験したら「半端ない」と思うと思います。
島に移住をお考えの方は、
「こういうこともある」と頭の片隅に置いておくといいかもしれませんよ!
梅雨が明ければ、夏はすぐそこ。
めぐみの雨で大事な季節ではありますが、早く梅雨が明けてほしいものです。
それでは、今回はこの辺で。
季節の変わり目ですので、体調管理はもちろん
コロナ感染対策にも注意しながらお過ごしください。
2020年05月29日
最初の発見
徳之島に移住して、今年の7月で5年目に突入します。
本当に早いものです^^;
島に住み始めて、慣れたことはいろいろあるのですが、
今回は、わたしが島に来て初めて知った驚きの発見についてつづります。
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島に移住して数日。
地域おこし協力隊として移住してきたので、
住む家は役場の方が段取りしてくださいました。
(島の家のことはまたの機会につづりますね)
その、用意してくださった家が平屋の一軒家。
もちろん、一軒家に一人で暮らすのは初めてのことでした。
島に持ってきたものの荷解きをしながら、居住環境を整え
自分が住みやすい家にしていこう!と胸をワクワクさせていました。
夜になって、家でのんびり過ごしていると、
天井のあたりから「ケッケッケッケッケ・・・」という音が。
移住当初は、夜中寝ているときに、この「音」で起きることが何度もありました。
わたしは最初、鳥のひなが天井裏や軒下にいて、それが鳴いているのだろうと思い
「しばらくすればなくなるだろう」と思い込んでいました。
でも、しばらく経ってもその「音」が消えることはないうえに
毎回、音の質、音の数など、
「同じ音」が聞こえるというのもなんだか不自然に思うように。
ある日、出勤した際に役場職員の方に
「わたしの家の屋根裏に鳥のひなが住んでるみたいで、
夜中も鳴いたりして、起きちゃったりすることがあるんですよ」
と、話すと「まあ、ひなだったらいつか巣立つから大丈夫」と返されました。
そうか、ひなだったらいつか巣立つし、ある日スパッと鳴かなくなるか、
そう自己解釈しながら、毎日暮らしていました。
そしてまたある日、ふと気になって
「ケッケッケッケッケ 鳴き声」とネット検索をしました。
すると、たまたま見た動画が、普段聞いている音とまったく同じ音だったのです。
その正体は・・・なんとヤモリ!
(知っている方は、ここまで引っ張ってしまってすみません笑)
あとあと知ったのですが、ヤモリが鳴くのは南の方だけらしいです。
たしかに、ヤモリは地元にもいるし、現に見たこともあります。
ただ、鳴いているのは聞いたことがなく・・・
「ヤモリって、鳴くんだ」
というのが、最初の衝撃発見でした(笑)
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初めて島に来た方、もし夜に上の方から笑い声のような鳴き声が聞こえても
ビックリしないでくださいね、ヤモリですから。
「家を守る」とかいて家守(ヤモリ)、というくらいなので
そのまま放っておくのが一番です。
移住してきた当初、わたしはいちいちヤモリを見つけては捕獲し、
外に逃がしていましたが、そんなことやり始めたらキリがないくらい
ヤモリくんはたくさんいます。キリがないことにある日気が付きます(笑)
移住を考えている方でヤモリなどの爬虫類が苦手な方は、
ぜひ克服してから島に移住してくるか、
遭遇しても動揺しないメンタルを備えてくることをおすすめします(笑)
ちなみに、わたしは苦手じゃなかったので、特に問題ありませんでした。
徳之島では、ヤモリのほかにも特に虫は非常に身近な存在です。
いて当たり前、くらいに思っていないと多分ストレスになっちゃいます^^;
これ、言ったらちょっと引かれるかもしれないのですが
我が家のキッチンは窓に面していて、夜ご飯の支度をしていると
キッチンの明かりに誘われて、小さい虫がいっぱい窓にくっつきます。
そして、それにつられてヤモリたちが狩りにやってきます。
目の前で弱肉強食の世界が繰り広げられるのですが、
その光景を見ているのが、わたしはわりと好きです(笑)
あとは、ヤモリ関連で言えば、フンですね。
ヤモリくんたちは外でフンをしてくれるわけではないので
家の中にフンが落っこちていることもしばしば・・・
落っこちていないと思えば、壁にくっついていたり、ということもあります。
ひとり暮らしの頃は、正直フンを見つけても放置することもあったんですが
娘が生まれてからは、興味本位で食べられては困るので
常々落ちていないか気にするようになりました(笑)
島に移住をお考えの方、
「ヤモリはいて当たり前、フンは見つけたら片付けよう」という心構えがおすすめです。
島の方には「ヤマトのヤモリはなかなか鳴かない」というプチ情報をお届けします。(笑)
ああ、今回も文章ばかりのブログになってしまった・・・
近々、また我が家で弱肉強食の世界が繰り広げられたときに
その瞬間をカメラにおさめられるよう頑張ります!(笑)
以上、わたしが島に来て最初におどろいた話でした!
2020年05月22日
はじめて島に来た日
今日は、初めて徳之島に来た日のことを振り返りながら、
あの日の自分としてはビックリだったできごとをつづってみたいと思います。
恥ずかしながら、わたしは地域おこし協力隊の応募をするまで、
徳之島がどこにあるのかすら知りませんでした(さすがに奄美大島は知ってました)。
協力隊の募集を見て、場所を調べるところからスタート。
海がきれいな南の島なんだ、というのが第一印象でした。
そんなわたしが、初めて徳之島に来たのは、
協力隊の書類選考が通り、その後行われた面接のときでした。
「徳之島に着いたらお手洗いで着替えればいっか」くらいに考えていたので、
私服で飛行機に乗り、スーツは手荷物として持っていきました。
面接に行くにあたり、インターネットで
徳之島の情報収集をしましたが、イマイチ思うように集まりませんでした。
コンビニがあるのかも謎、泊まれるホテルがどういう状況なのかも謎、
空港から面接会場である町役場までの交通手段もあるのか謎。
とにかく情報が謎に包まれたままでしたが(今はわりと情報収集しやすくなった)、
わたしは基本知らないことに飛び込むのが好きなタイプなので、
ワクワクしかしなかったのを、今でも覚えています(笑)
いざ、面接当日。
羽田空港から鹿児島空港へ向かい、はじめての飛行機乗り継ぎ。
そしてはじめてのプロペラ機(現在はジェット機です)。
段々と見える青い海に胸をワクワクさせながら・・・
という想像をしてましたが、面接当日はあいにくの雨でした(笑)
徳之島に到着、まずは御手洗いでスーツに着替えました。
パンプスも履き、準備完了。時間は余裕をもって早めに着いたので、
公共交通機関で役場に向かうため空港を出た瞬間、バスもタクシーも目に留まらず。
時刻表を見て唖然。
つくづくわたしは都会的思考で甘く見すぎていたなと痛感させられました。(笑)
とにかく試験会場である天城町役場まで行かなければと考えたわたしは、
携帯を取り出し、空港から役場までの道のりを確認。
携帯には「徒歩30分」と表示されていたので、役場まで歩くことにしました。
当時、わたしの中での「徒歩30分」というのは当たり前で、
そもそも「歩く」ことなんて普通の行動だったので、
なんの躊躇もなく役場まで歩くことを選択したのですが、
大荷物でスーツ姿の人間が県道沿いを
とぼとぼ歩いていたら100%車の運転者に見られる、
というのは島に住むようになってから気づいたことです。(笑)
案の定、途中で役場職員の方に歩いているのを発見され、
職員の方に拾っていただき、無事に役場までたどり着くことができました。
「空港から歩いてたの?!よく歩こうと思ったね」と言われ、
わたしの頭は「歩くにはそんなに大変な距離だったのか?」と思った矢先、
すぐに役場に到着したことを今でもよく覚えています(笑)
そして、面接は無事に終了。
当時、仕事の関係でどうしても翌日休みたくなかったわたしは徳之島まで来て、
「日帰り」というハードスケジュールを組んでいたため、
面接が終わり次第、即空港へ(この時も職員の方に送っていただきました)。
無事に自宅へ到着。
長い、そして驚きと発見に溢れた一日で、
これから島で暮らすかもしれないと考えただけでも余計にワクワクする余韻に、
徳之島から帰った後数日間は浸ることができました。
離島(わたしの中で、沖縄本島は離島に含まれない)に行ったのは
徳之島が初めてだったので、
景色、空気、人、島にあったすべてが、わたしにとって新鮮そのものでした。
●バス、タクシーはあるけど、都会の感覚で当てにしてはいけない
●島の人の感覚で、移動手段として「徒歩」は優先順位低
●想像していた「島の人」のとおり、温かい、距離感が近い(フレンドリー)
●当時のエブリワンはファミリーマートへ新装開店、そして工事中(コンビニ確認)
と、いうのがざっくりとした、はじめて徳之島に行った日の印象。
「コンビニがあることが分かった」という点は、
移住に際し不安要素だったのですが、
そこはひとつ解消されたことが大きな収穫でした(笑)
徳之島に行ってから、ずーっと気分は南の島に向いていて、
仕事が手につかなかったわたし。
毎日ネットで「徳之島」を検索しては、
何度も見た情報を何度も見返す、という日々でした(笑)
もしかしたら、当時から徳之島には何かしらの「縁」があったのかもしれないですね。
思い出話に花が咲いた感覚で、長くなってしまいましたが今回はこの辺で。
次回からは、実際に徳之島に暮らして気づいたことや感じたこと、
移住を考えるうえで知っておいた方が良いことなどを気ままにつづります。
では、また^^
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あの日の自分としてはビックリだったできごとをつづってみたいと思います。
恥ずかしながら、わたしは地域おこし協力隊の応募をするまで、
徳之島がどこにあるのかすら知りませんでした(さすがに奄美大島は知ってました)。
協力隊の募集を見て、場所を調べるところからスタート。
海がきれいな南の島なんだ、というのが第一印象でした。
そんなわたしが、初めて徳之島に来たのは、
協力隊の書類選考が通り、その後行われた面接のときでした。
「徳之島に着いたらお手洗いで着替えればいっか」くらいに考えていたので、
私服で飛行機に乗り、スーツは手荷物として持っていきました。
面接に行くにあたり、インターネットで
徳之島の情報収集をしましたが、イマイチ思うように集まりませんでした。
コンビニがあるのかも謎、泊まれるホテルがどういう状況なのかも謎、
空港から面接会場である町役場までの交通手段もあるのか謎。
とにかく情報が謎に包まれたままでしたが(今はわりと情報収集しやすくなった)、
わたしは基本知らないことに飛び込むのが好きなタイプなので、
ワクワクしかしなかったのを、今でも覚えています(笑)
いざ、面接当日。
羽田空港から鹿児島空港へ向かい、はじめての飛行機乗り継ぎ。
そしてはじめてのプロペラ機(現在はジェット機です)。
段々と見える青い海に胸をワクワクさせながら・・・
という想像をしてましたが、面接当日はあいにくの雨でした(笑)
徳之島に到着、まずは御手洗いでスーツに着替えました。
パンプスも履き、準備完了。時間は余裕をもって早めに着いたので、
公共交通機関で役場に向かうため空港を出た瞬間、バスもタクシーも目に留まらず。
時刻表を見て唖然。
つくづくわたしは都会的思考で甘く見すぎていたなと痛感させられました。(笑)
とにかく試験会場である天城町役場まで行かなければと考えたわたしは、
携帯を取り出し、空港から役場までの道のりを確認。
携帯には「徒歩30分」と表示されていたので、役場まで歩くことにしました。
当時、わたしの中での「徒歩30分」というのは当たり前で、
そもそも「歩く」ことなんて普通の行動だったので、
なんの躊躇もなく役場まで歩くことを選択したのですが、
大荷物でスーツ姿の人間が県道沿いを
とぼとぼ歩いていたら100%車の運転者に見られる、
というのは島に住むようになってから気づいたことです。(笑)
案の定、途中で役場職員の方に歩いているのを発見され、
職員の方に拾っていただき、無事に役場までたどり着くことができました。
「空港から歩いてたの?!よく歩こうと思ったね」と言われ、
わたしの頭は「歩くにはそんなに大変な距離だったのか?」と思った矢先、
すぐに役場に到着したことを今でもよく覚えています(笑)
そして、面接は無事に終了。
当時、仕事の関係でどうしても翌日休みたくなかったわたしは徳之島まで来て、
「日帰り」というハードスケジュールを組んでいたため、
面接が終わり次第、即空港へ(この時も職員の方に送っていただきました)。
無事に自宅へ到着。
長い、そして驚きと発見に溢れた一日で、
これから島で暮らすかもしれないと考えただけでも余計にワクワクする余韻に、
徳之島から帰った後数日間は浸ることができました。
離島(わたしの中で、沖縄本島は離島に含まれない)に行ったのは
徳之島が初めてだったので、
景色、空気、人、島にあったすべてが、わたしにとって新鮮そのものでした。
●バス、タクシーはあるけど、都会の感覚で当てにしてはいけない
●島の人の感覚で、移動手段として「徒歩」は優先順位低
●想像していた「島の人」のとおり、温かい、距離感が近い(フレンドリー)
●当時のエブリワンはファミリーマートへ新装開店、そして工事中(コンビニ確認)
と、いうのがざっくりとした、はじめて徳之島に行った日の印象。
「コンビニがあることが分かった」という点は、
移住に際し不安要素だったのですが、
そこはひとつ解消されたことが大きな収穫でした(笑)
徳之島に行ってから、ずーっと気分は南の島に向いていて、
仕事が手につかなかったわたし。
毎日ネットで「徳之島」を検索しては、
何度も見た情報を何度も見返す、という日々でした(笑)
もしかしたら、当時から徳之島には何かしらの「縁」があったのかもしれないですね。
思い出話に花が咲いた感覚で、長くなってしまいましたが今回はこの辺で。
次回からは、実際に徳之島に暮らして気づいたことや感じたこと、
移住を考えるうえで知っておいた方が良いことなどを気ままにつづります。
では、また^^
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2020年05月21日
わたしのことを、すこしだけ
遅くなりましたが、わたしのことを少し自己紹介します。
特に興味がなければ、この記事はスルーしてくださいね。
出身は神奈川県座間市、神奈川と言えどそんなに都会ではなく(むしろ田舎)、わりと自然に囲まれて大きくなった人間です。
子どもの頃から「農家にお嫁にいく」「畑で野菜を育てて食べるような生活がしたい」などと、田舎ぐらしに憧れを抱いているような発言をしていたらしく、わたしが徳之島へ移住すると言い出した時、母親は「ついにこのときが来たか・・・」と思ったらしいです(笑)
中学から大学までの約10年間、部活動としてソフトボールをしてました。
今、わたしを取り巻く環境はソフトボールがつくってくれたと言っても過言ではないくらい、わたしにとってソフトボールはキーワードです。
大学を卒業後、本当は青年海外協力隊として海外でソフトボールの普及活動をしてみたかったのですが、英語スキルはゼロ。
とりあえず、英語の勉強もしながら近い将来青年海外協力隊を目指そう、ということで埼玉の病院に入職しました。
まあ、英語の勉強なんてするわけもなく(笑)、病院に勤め始めて4年が経った頃、転職を決意、青年海外協力隊の夢も捨てきれなかったのですが、わたしが選んだのは地域おこし協力隊でした。
「やるならとにかく縁もゆかりもない土地にしよう」・・・
そう思って目に入ったのが徳之島。見つけた瞬間に応募書類をダウンロードして、記入後すぐに送りました。
2017年7月に天城町地域おこし協力隊の第1号として着任。
当初は一人だったのですが、気づけば年度内には3人になっていました。
その後、天城町地域おこし協力隊として4人が新たに着任し、3人は協力隊を卒業、今現在天城町ではわたしも含め4人が活動中です。
すごいなと思うのは、天城町地域おこし協力隊として着任、卒業した人はみんな徳之島に残っていること。
今年度に卒業するわたしともう一人、現在活動中の二人も含め、このままいけばおそらく卒業後も徳之島に留まる選択をするであろうと思います。
見事に、地域おこし協力隊制度の目的を達成しているんです。
でも正直、わたしは協力隊の任期としては最後の活動年度を迎える前、島に留まるか地元に帰るか迷っていました。
徳之島が嫌いだったとかそういうことではなく、協力隊の仕事を経て自分の地元に興味を持ったと言った方が当てはまると思います。
島の方もよく言いますが「徳之島には何もない」、確かに何もないです。
でも、都会にないものが島にはあります。
都会にはあんなに青い海はありません。アカショウビンが鳴くこともないです。
こんなにゆったりとした時間は流れていないし、どちらかと言えば都会では時間に追われます。
島にないものを探しがちですが、島にあるものはたくさんあるんです。
それに気が付いたのは協力隊としてこの地にやってきたからです。
逆に、わたしも自分の地元に対して「わたしの地元には何もないです」とよく島の人に言っていたことに気が付きました。
これに気付いた日から、自分の地元になにがあるのか探すようになりました。実際に地元の観光協会へ出向いて話を伺ったこともあります。
それくらい、徳之島への興味と同時に自分の地元にも興味を沸かせていたことは事実。
そんなこんなで、地元にも興味があったので協力隊を卒業したあとは地元に帰って、地元を盛り上げられるような仕事がしたいなと漠然とした考えでいました。
でも、そのタイミングで今の夫と出会いました(笑)
トントンで結婚・出産という流れになったので、どうするか考える間もないまま、わたしは徳之島の人間になったわけですが、後悔はまったくしていません。
帰りたいなと思うこともないわけではありませんが、島の風景を見ると「やっぱり島がすきだな」という気持ちにリセットされます(笑)
と、いうくらい単純人間であることも、わたしのいいところであり、悪いところ^_^;
途中、大分話がそれたうえになんやかんや長くなってしまいましたが、わたしが今にくるまでたくさんの考えを持ち、葛藤したのは本当です。
「だからこその目線」が自分にはあると思うので、そういう話も織り交ぜながら島でのくらしを発信していけたらと思っています。
自己紹介・・・というか自分の話が長くなりましたが、以上。
次回は、わたしが徳之島にはじめて来た日のことをつづってみたいと思います!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします^^
特に興味がなければ、この記事はスルーしてくださいね。
出身は神奈川県座間市、神奈川と言えどそんなに都会ではなく(むしろ田舎)、わりと自然に囲まれて大きくなった人間です。
子どもの頃から「農家にお嫁にいく」「畑で野菜を育てて食べるような生活がしたい」などと、田舎ぐらしに憧れを抱いているような発言をしていたらしく、わたしが徳之島へ移住すると言い出した時、母親は「ついにこのときが来たか・・・」と思ったらしいです(笑)
中学から大学までの約10年間、部活動としてソフトボールをしてました。
今、わたしを取り巻く環境はソフトボールがつくってくれたと言っても過言ではないくらい、わたしにとってソフトボールはキーワードです。
大学を卒業後、本当は青年海外協力隊として海外でソフトボールの普及活動をしてみたかったのですが、英語スキルはゼロ。
とりあえず、英語の勉強もしながら近い将来青年海外協力隊を目指そう、ということで埼玉の病院に入職しました。
まあ、英語の勉強なんてするわけもなく(笑)、病院に勤め始めて4年が経った頃、転職を決意、青年海外協力隊の夢も捨てきれなかったのですが、わたしが選んだのは地域おこし協力隊でした。
「やるならとにかく縁もゆかりもない土地にしよう」・・・
そう思って目に入ったのが徳之島。見つけた瞬間に応募書類をダウンロードして、記入後すぐに送りました。
2017年7月に天城町地域おこし協力隊の第1号として着任。
当初は一人だったのですが、気づけば年度内には3人になっていました。
その後、天城町地域おこし協力隊として4人が新たに着任し、3人は協力隊を卒業、今現在天城町ではわたしも含め4人が活動中です。
すごいなと思うのは、天城町地域おこし協力隊として着任、卒業した人はみんな徳之島に残っていること。
今年度に卒業するわたしともう一人、現在活動中の二人も含め、このままいけばおそらく卒業後も徳之島に留まる選択をするであろうと思います。
見事に、地域おこし協力隊制度の目的を達成しているんです。
でも正直、わたしは協力隊の任期としては最後の活動年度を迎える前、島に留まるか地元に帰るか迷っていました。
徳之島が嫌いだったとかそういうことではなく、協力隊の仕事を経て自分の地元に興味を持ったと言った方が当てはまると思います。
島の方もよく言いますが「徳之島には何もない」、確かに何もないです。
でも、都会にないものが島にはあります。
都会にはあんなに青い海はありません。アカショウビンが鳴くこともないです。
こんなにゆったりとした時間は流れていないし、どちらかと言えば都会では時間に追われます。
島にないものを探しがちですが、島にあるものはたくさんあるんです。
それに気が付いたのは協力隊としてこの地にやってきたからです。
逆に、わたしも自分の地元に対して「わたしの地元には何もないです」とよく島の人に言っていたことに気が付きました。
これに気付いた日から、自分の地元になにがあるのか探すようになりました。実際に地元の観光協会へ出向いて話を伺ったこともあります。
それくらい、徳之島への興味と同時に自分の地元にも興味を沸かせていたことは事実。
そんなこんなで、地元にも興味があったので協力隊を卒業したあとは地元に帰って、地元を盛り上げられるような仕事がしたいなと漠然とした考えでいました。
でも、そのタイミングで今の夫と出会いました(笑)
トントンで結婚・出産という流れになったので、どうするか考える間もないまま、わたしは徳之島の人間になったわけですが、後悔はまったくしていません。
帰りたいなと思うこともないわけではありませんが、島の風景を見ると「やっぱり島がすきだな」という気持ちにリセットされます(笑)
と、いうくらい単純人間であることも、わたしのいいところであり、悪いところ^_^;
途中、大分話がそれたうえになんやかんや長くなってしまいましたが、わたしが今にくるまでたくさんの考えを持ち、葛藤したのは本当です。
「だからこその目線」が自分にはあると思うので、そういう話も織り交ぜながら島でのくらしを発信していけたらと思っています。
自己紹介・・・というか自分の話が長くなりましたが、以上。
次回は、わたしが徳之島にはじめて来た日のことをつづってみたいと思います!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします^^
2020年05月14日
島のくらしを発信する
地域おこし協力隊として徳之島・天城町へ移住し、今度の6月で5年目に突入。
この5年間はいろいろあったなあ~と思うと同時に、ここ2年くらいは人生においても激動の時間だった。
結婚、出産、子育て・・・
まさか自分が徳之島に嫁ぐなんてこれっぽっちも思ってなかったです(笑)
でも、今の日々は大変でありながらも、それなりに毎日楽しく生きてます。
話は変わって仕事の話になりますが、今わたしは純粋に数えると協力隊4年目です。
わたしより1か月後に着任した協力隊も、もうとっくに卒業してしまいました(笑)
というのも、協力隊任期中に産休育休を取得させていただきました。
2月下旬頃からぼちぼち復職しましたが、4月からは本格的に働きはじめてます。
娘も保育園に預けていて、園でたくさんいろんな刺激をもらっているようで、先生方には本当に感謝してもしきれないなあと日々感じているところです。
4月から本格的に稼働してますが、わたしは6月末をもって協力隊任期満了になります。
そういうこともあって、産休育休に入る前と比べると本腰を入れて取り組むモノゴトはそこまで多くないです(笑)
なので、協力隊任期中にやりたかったけど、全くと言っていいほどできなかったことをやっていこうということで、島でのくらしを発信していこうと思います。
文章のみのブログだと、読み飽きてしまうかもしれないので、初回は決意表明ということでこの辺で終わりにしようと思います。
打ち終わりに気づきましたが、この文章をどなたが読んでくださるのかわからないので、次回はわたしの自己紹介をつづりたいと思います(前後してすみません)
このご時世、大変なことももちろんあると思います。
いつもどおりにあった「フツウ」ってなんだっけ?と思ってしまうくらいですよね。
自粛期間、したいことがいっぱいの方はともかく、暇を持て余した方は、普段とくに気にしなかったこと、手を付けなかったことに取り組んだり、考えたりして自分と向き合った方もそれなりにいらっしゃるんじゃないかと思います。
そんな中で、「移住」を考えたり、憧れの土地として南の島を思い描いたりした方がいらっしゃれば、少しでも参考までにこの文章が目に留まれば良いなあと思ったりしてます。
今はステイホームが妥当。お互いの安全策です。
コロナの終息が見えたら、南の島にぜひ遊びにきてくださいね。
わたしも、その時は奄美の島々を巡りたいなと考えてます。
では、結局長くなりましたが今回はこの辺で。